小国町出身である故北里柴三郎博士の生家や、博士から小国町に寄贈された北里文庫(図書館)を改修し、偉業をたたえているのが北里柴三郎記念館です。
この施設は生前、博士が大正5年に建てた貴賓館、北里文庫があった敷地に、昭和62年、博士の学問を受け継ぐ北里研究所、北里学園が中心になって博士の生家の復元修復を行うとともに、北里文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列し、小国町に寄贈されたものです。
その後、平成24年より北里研究所の寄付により北里柴三郎記念館の全体改修工事がはじまり、平成26年工事が完了しグランドオープンを迎えました。
館内の「北里文庫」「貴賓館」は平成28年に設立100年を迎えるに至りました。
2023年9月にはシアターホール(ドンネル館)を新築し、感染症医学の発展に大きく貢献した博士の生涯に触れる事が出来ます。
1853年1月29日(嘉永5年12月20日) – 1931年(昭和6年)6月13日)
北里柴三郎博士は日本の医学者・細菌学者・教育者・実業家。「日本の細菌学の父」として知られており、ペスト菌を発見また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献しました。
日本が誇る世界的な細菌学者北里柴三郎は、1853年1月29日(嘉永5年12月20日)北里村の庄屋北里惟信の長男として生まれました。
明治4年(1871)熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設、昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。