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HISTORY OF OGUNI TOWN
         
小国町の歴史
           
昔々の小国郷は25の村が連なって「小国郷」と呼ばれておりました。
明治3年に25の村が合併して9の村となり、更に町村の実施により北小国村(6ヶ村)と南小国村(3ヶ村)に分れたのが明治22年。
昭和はじめ、北小国村の人口が11,000人と熊本県内で10,000人以上の市町村で村制を施行しているのは北小国村だけでした。
昭和10年4月1日町制が施行され「北小国村」を「小国町」と改称しました。

国鉄宮原線 昭和59年廃線




ABOUT OGUNI TOWN
小国町について
九州中部にして熊本県の北端部の九州山地に位置する。町域の東部、北部、西部は大分県に接している。町域の約8割は山林であり、その山林の約75%はスギの人工林である(「小国杉」)


人口は6914人(2020年8月現在)

小国町の産業の中心を長く担ってきたのは林業(小国杉)。
農業ではダイコンの生産、1950年代後半に導入されたジャージー牛の飼育が盛んです。
ジャージー牛乳やジャージーヨーグルトは格別に美味しく、牧場主が成乳からソフトクリーム製造まで6次産業化した「ジャージーソフトクリーム」も観光の目玉となっております。
ぜひ一度ご賞味ください。

また、町内には、全国的に有名な天然温泉施設(杖立温泉/わいた温泉)が多数あります。



GREAT MAN
小国町の偉人
<北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう)>
1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)
日本の医学者・細菌学者・教育者・実業家。「日本の細菌学の父」として知られており、ペスト菌を発見
また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献しました。

日本が誇る世界的な細菌学者北里柴三郎は、1853年1月29日(嘉永5年12月20日)北里村の庄屋北里惟信の長男として生まれました。
明治4年(1871)熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設、昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。

〇令和6年度、千円紙幣の肖像として使用されることが決定しました〇










<河津 寅雄(かわづ とらお)>
1902年(明治35年) - 1979年2月2日(昭和54年)
山林業や酒造業の傍ら1948年から小国町町長になり、1957年に自由民主党熊本県連会長、1963年には全国町村会長になりました。
この間、30年の保守合同で自民党が誕生しましたが、分裂状態だった県連を一本化して自ら県連会長となる。
15年余り県政界を牽引し農業、社会、教育、商工、スポーツ、報道関係など多くの団体、会社の要職につき強力な指導力を発揮しました。
「河津天皇」「河津王国」などの呼称もあり、その影響力は各界、各分野にわたって深く浸透していました。
1957年ジャージー牛を海外から導入し、今も各小国地域で受け継いでいる。
1972年に財団法人熊本県健康管理協会を立ち上げて初代会長となり、日本赤十字社熊本県支部長を務め熊本赤十字病院の設立にも貢献し、 また日本で初めて給食センターを作りました。
〇勲二等旭日重光章受賞〇
・小国町役場前の銅像

・1957年ジャージー種導入時の河津氏(左端)

ACCESS
アクセス
●車:福岡市内から九州自動車道経由:約120分
●高速バス(福岡→黒川温泉):「ゆうステーション」下車:約150分
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